■元和三年(一六一七年)
遠山城落城の時のこと。
城主、土佐守景直のお姫様 藤姫は、和田城を逃れ、
川合という集落の木下家に助けを求めました。
家の者は、姫様をみので隠し山道を連れ帰りかくまいました。
藤姫は八日目の朝になると
「危ないところをお助けいただき本当にありがとうございました。
おなごりおしゅうございますが、これより縁者を頼り、美濃の苗木に参ります。
今の私には何もできません。
せめてものお礼にと想いをこめ紡がせて頂いた藤の糸を置いて行きます 。
この先、この家に授かりしお子が健やかなる事、女の子ならば美しく育つよう、
私がどこに居ても、いつも祈っています。」
と申され、旅立たれました。
その後、毎年のように霜月になると藤姫から
報恩の米や魚が届けられるようになりました。
合戸峠を越え、馬の背で川合に運ばれる様子を見て
人々は「姫の米行列」と言ったと伝えられています。
木下家では、現代までも安産と健康を授かり続け、
物語は村人と共に語り継がれてきたものです。